吉崎御坊の跡地、通称「お山」は様々な経緯の後、東⻄両本願寺の共有地として今に至ります。
ふもとには東⻄の両別院が並び立ち、全国でも珍しい構成ですが、この特殊な構成こそ、東⻄両派における吉崎の高い重要性を物語るものでありましょう。
本願寺中興の祖、蓮如上人にとって吉崎とは、比叡山などの束縛を初めて離れて、真宗再興への熱情を分に発揮することになった場所でありました。
「御文章」による文書伝道に最も精力的にはげまれた時代であり、日常勤行として「正信偈・和讃」が制定・開版されました。お名号が大勢のご門徒に授与され、家々にご本尊が迎えられたのもこの時代でございます。僧侶・門徒同一の信仰生活の基盤は、吉崎で生み出されたのです。
このご旧跡をぬくもりのある活きた場所として未来に伝えたい。たとえ吉崎へ参拝が叶わなかったとしても、蓮如上人に、また数々のご功労に、想いを馳せる場所が確かに今も存在する。それがどれほど心強いことでしょうか。
本願寺吉崎別院は越前・加賀の真宗門徒の力によって護持されてきました。その力は地域・地区ごとの地縁的なつながりによって継承されてきましたが、社会構造の変化など旧来のつながりが希薄化するとともに意識の継承も困難となり、今や別院の存続は極めて厳しい状況に陥っていることと聞き及びます。
吉崎の重要性を思うとき、吉崎別院の護持存続が、狭く越前・加賀地方の中だけで問われてよいものだろうか。広く全国の心ある真宗門徒のご懇念の中で問い直されるべき問題ではないだろうか。そのように考えるのでございます。
この度、勝如上人のご消息のお心を戴して吉崎護持存続の一助となるべく、また蓮如上人のご功績をあらためて顕彰すべく、立ち上げの趣意は以上の通りであります。
何とぞご賛同のうえご参加くださいますよう、お願い申しあげる次第でございます。
蓮如さんの吉崎西別院讃仰会
会長 谷間 徹誠